おせち

おせちの歴史を年表で解説!いつから?昔と今の違いと伝統文化【2027年】

おせちの歴史を年表でたどる 伝統と文化
しゅん

※本記事にはプロモーションを含みます

まいど、食品バイヤーのしゅんです。

「おせちって、いつから食べてるん?」

年末に子どもや親戚の子に聞かれて、言葉に詰まったことはありませんか。

ぼくも昔、姪っ子にこれを聞かれて「平安時代からや」とだけ答えて、あとで調べ直したことがあります。半分は合ってたんですが、半分はちゃうかった。

おせちの歴史は、じつは「ずっと同じ形で続いてきた」話ではありません。名前も、中身も、食べる人も、時代ごとにけっこう変わってきています。

この記事では、おせちが始まった時代から今の通販おせちまでを年表でたどります。昔は何と呼ばれていたのか、重箱に詰めるようになったのはいつか、おせちの文化はこの先なくなるのか、まで。

毎年おせちを仕入れて売る側の人間として、「今の通販おせちは、歴史のどこに立っているのか」という目線も混ぜていきます。

料理一つひとつの意味(黒豆=まめに働く、など)はおせち料理の意味一覧にまとめているので、ここでは「流れ」のほうを見ていきましょう。

目次

おせちの歴史を年表で簡単に

まずは全体の流れを1枚にしました。

おせちの歴史の年表 弥生時代の節供から今の通販まで

ざっくり言うと、こうなります。

始まりは、季節の節目に神様へ食べ物を供える風習。それが宮中の行事になり、江戸時代に庶民へ広がって、正月の料理だけを指す言葉になりました。重箱に詰めるのが当たり前になったのは明治のころです。

そして昭和に入ると百貨店が売り始め、今では「作るもの」より「買うもの」になりつつあります。

ここから、時代ごとにもう少し細かく見ていきます。

起源は弥生時代の「節供」と平安の「節会」

おせちの一番古いルーツは、弥生時代までさかのぼると言われています。

稲作が本格的に始まったこのころ、季節の変わり目である「節(せち)」に、豊作を感謝して神様へ作物を供える風習がありました。これを「節供(せっく)」と呼びます。

神様に食事を差し上げて、そのお下がりを人もいただく。この神様と人が同じものを食べる考え方が、おせちの根っこにあります。

平安の宮中では「御節供」と呼ばれた

奈良時代から平安時代になると、宮中で「節会(せちえ)」という行事が開かれるようになります。

唐の暦にならって季節の節目を決め、邪気を祓って長生きを願う儀式と宴会をする。そこで振る舞われたお祝いの料理が「御節供(おせちく)」です。

ここで一つ、勘違いしやすいところがあります。

このころの御節供は、正月の料理だけを指す言葉ではありませんでした。五節句すべての祝い料理が御節供だったんです。

ひな祭りの料理も、端午の節句の料理も、ぜんぶ「おせち」。今の感覚からすると、ちょっと不思議ですよね。

参考:湊敏文「おせち料理からみる食文化継承の課題と展望」羽衣国際大学人間生活学部 研究紀要 第19巻

江戸時代に「おせち=正月の料理」になった

おせちが庶民のものになったのは、江戸時代です。

幕府が五節句を正式な祝日に決めたことで、節句を祝う習慣が武家から町人へと広がっていきました。そして五節句の中でも一番大事な正月に、豪華な料理を用意することが定着します。

江戸の後期になると、「おせち」という言葉そのものが正月の料理だけを指すようになりました。料理一つひとつに縁起の意味が込められたのも、このころだと言われています。

昔の言い方は「喰積(くいつみ)」と「蓬莱(ほうらい)」

では、江戸の人は正月の料理を何と呼んでいたのか。

神様に供える食べ物のことを、江戸では「喰積」、京坂では「蓬莱」と呼んでいました。同じものを指していても、東と西で呼び名が違ったわけです。

おせちの呼び名の変化 御節供から喰積・蓬莱、おせち料理へ

関東と関西で雑煮の餅が角か丸かで分かれるのと同じで、正月の料理は昔から東西で別々の顔を持っていました。

祝い肴が全国に広まったのは「乾物で安かった」から

ここで少し、ぼくの仕事の話に寄り道させてください。

食品の仕入れをやっていると、「日持ちして、遠くまで運べるもの」はやっぱり強いんです。年末に冷蔵トラックの枠が取れずに、乾物の段ボールだけ先に送った年があって、そのときしみじみ思いました。乾物は、文句言わずにどこへでも行ってくれる。

江戸時代の祝い肴も、まさにそれでした。

黒豆、数の子、田作り(ごまめ)の三つ肴は、当時は比較的手頃で手に入れやすい食材。しかも3つとも乾物なので、俵に詰めて山のほうまで運ぶことができました。

質素に暮らしていた江戸の庶民も、この祝い肴と餅さえあれば正月を迎えられた。それで全国に広まっていったそうです。

ちなみに祝い肴は、関東は数の子・黒豆・田作り、関西は数の子・黒豆・たたきごぼうが基本。ここにも東西の違いが残っています。

参考:ウェザーニュース「おせちと呼ぶようになったのはいつから?」(歳時記×食文化研究所 北野智子氏)、羽衣国際大学 研究紀要 第19巻

京都東山 料亭「道楽」監修おせち 平安祝重 清新

向いてる人:3〜4人で、京の伝統の味を手頃な値段で試したい家(道楽監修 清新・約3〜4人前・10月31日まで14,900円)

道楽監修 清新の中身を見る

この記事で紹介している清新を詳しく読む

明治・大正 重箱でお客をもてなす料理に

今のおせちといえば重箱ですが、重箱に詰めるようになったのは江戸の終わりから明治にかけて。ここは意外と新しいんです。

広めたのは、婦人雑誌と新聞でした。

明治のころの『国民之友』や『家庭雑誌』といった雑誌が、正月料理・重詰め料理としておせちを紹介します。大阪毎日新聞の「家庭の栞」という紙面でも、同じように取り上げられました。

家の台所を預かる人にとって、雑誌は料理の作り方を知る大事な手段でした。地方から都会に出てきた人は、故郷の正月料理を再現するのも難しい。雑誌に載った「おせちの型」が、全国の家庭に同じ形を広めていったわけです。

もともとは家族より「年始のお客」のための料理

この時代のおせちには、今と大きく違うところがあります。

それは、来客用のもてなし料理だったこと。

大正のころには、年始のあいさつに来たお客さんにまず重詰めの料理を出して、そのあとに本膳料理や会席料理をふるまう、という流れもあったそうです。

重箱に詰めておけば、急にお客さんが来てもすぐ出せる。重箱は「めでたさを重ねる」という縁起だけでなく、もてなしの道具としても便利だったんですね。

参考:羽衣国際大学 研究紀要 第19巻

京都岡崎「味ま野」監修伍段重 柳雅

向いてる人:4〜5人で、関東と関西の祝い肴を両方そろえたい家(味ま野監修 柳雅・約4〜5人前・18,800円)

味ま野監修 柳雅の中身を見る

この記事で紹介している柳雅を詳しく読む

昭和から今へ 作るおせちから買うおせちへ

昭和に入ると、おせちは「家で作るもの」から少しずつ外へ出ていきます。

昭和の初めには、もう百貨店がおせちを売り始めていました。昭和42年からはNHKの『きょうの料理』がおせちの特集を組むようになり、テレビで作り方を覚える時代に入ります。

「おせち料理」という呼び名が全国に広まったのは、戦後のこと。このころから、重箱には和食だけでなく中華や洋風の料理も入るようになりました。

1981年のパック入りと、バブル期からの「買うおせち」

1981年には、紀文がパック入りのおせちを出します。

そしてバブル期のころから、手間がかかる、作るのが難しいという理由で、おせちは作るものから買うものへと変わっていきました。有名な料理店やシェフが監修したおせちが次々に出てきたのも、この流れです。

正直に言うと、ぼくは最初、ここに少し引っかかっていました。

「買ったおせちは伝統と別物やろ」と思ってたんです。うちの実家は母が大晦日の夜中まで煮しめを炊く家で、台所の湯気と、こんにゃくを手綱にねじる手つきが、ぼくにとっての「おせち」でしたから。

でも歴史をたどると、考えが変わりました。そもそもおせちは、宮中の料理人が作ったものを貴族がいただく料理から始まっています。明治・大正の家だって、仕出し屋や料理屋に頼む家はあったでしょう。

誰が作ったかより、何を願って食べるか

そこが続いているなら、買ったおせちも立派な伝統の続きやと、今は思っています。

おせちの昔と今のちがい

冷蔵の設備が十分でなかった時代の伝統の料理は、日持ちさせるために濃いめの味付けでした。今は冷蔵や冷凍で届くので、薄味のおせちも選べます。中身や味は変わっても、重箱に詰めて正月に囲む形はずっと残っている。おもしろいところです。

参考:現代ビジネス「おせち料理はいつから「買うもの」になったのか」(阿古真理)、羽衣国際大学 研究紀要 第19巻

京都東山 料亭「道楽」監修特大重 福来重 新玉の息吹

向いてる人:5〜6人で、棒鱈や親子鰊まで入った昔ながらの京のおせちを囲みたい家(道楽監修 新玉の息吹・約5〜6人前・10月31日まで23,000円)

道楽監修 新玉の息吹の中身を見る

この記事で紹介している新玉の息吹を詳しく読む

おせちに込められた日本の文化

歴史を見てきたところで、「おせちは日本のどんな文化なのか」を整理しておきます。

神様と同じものを食べる「共食」の文化

おせちの一番の芯は、やっぱり神様と人が同じものを食べることです。

正月にやってくる歳神様にお供えをして、そのお下がりを家族でいただく。神様の力を分けてもらって、一年を元気に過ごせるように願う。弥生時代の節供からずっと、ここは変わっていません。

今の家庭では、神様より「家族が一堂に集まって食卓を囲むこと」のほうに重きが移っている、という研究者の指摘もあります。それでも、年に一度みんなで同じ重箱をつつくという形は残っています。

語呂合わせと見立ての文化

「まめに働く」の黒豆、「よろこぶ」の昆布巻き。おせちの料理には、言葉の響きや見た目に願いを重ねる文化が詰まっています。

ダジャレやんけ、とツッコミたくなる気持ちもわかります。ぼくも子どものころは「こじつけやん」と思ってました。

でも、食べるたびに願いを口に出せる仕掛けやと思うと、なかなかよくできています。一品ずつの意味はおせち料理の意味一覧で詳しく書いています。

「和食」が無形文化遺産になった理由の一つ

2013年(平成25年)12月、「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。

農林水産省は和食の特徴を4つ挙げていて、その一つが正月などの年中行事との密接な関わりです。自然の恵みである食を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域の絆を深めてきた、と説明されています。

正月のおせちは、まさにその代表です。

参考:農林水産省「和食;日本人の伝統的な食文化」

地域で違うおせちの文化

おせちの歴史は、地域ごとの違いの歴史でもあります。

江戸と京坂で呼び名が違ったように、今も東西で祝い肴や雑煮が分かれています。北海道や青森などでは、おせちを大晦日の夜から食べ始める家も多い。くわしくはおせちは大晦日に食べる?元日に食べる?にまとめました。

沖縄の正月は「重箱料理」と仏壇へのお供え

いちばん違いが大きいのは、沖縄かもしれません。

沖縄の正月は、おかずを詰めた重箱やお餅を仏壇にお供えするのが習わし。地域によって中身はさまざまですが、昆布を炒め煮にしたクーブイリチー、田芋でんがく、ミミガーの刺身、豚のもつを使った中身汁、三枚肉などが並びます。

同じ重箱でも、中身は本土とまるで別物。最近は本土風のおせちや雑煮を食べる家も増えているそうです。

参考:浦添市 なかよし給食センター 給食だより(2004年1月号)

おせちの文化はなくなる?今の数字で見る

「おせち 文化 なくなる」「衰退」と検索する人も多いようです。たしかに、家で一から作る家は減りました。

ただ、数字を見ると「なくなる」とは言いにくいんです。

今のおせちを数字で見る 食べた人77%、ネットで買った人45.1%

千趣会が2025年に行ったアンケート(ベルメゾン会員1,236名)では、77%がおせちを食べたと答えています。そのうち51.7%は買ったおせちを食べていて、買った場所で一番多かったのはネットショップの45.1%でした。

農林水産省の調査でも、正月・大みそかは「手作りしたものと買ったものを両方食べる」人が半数を超え、「全部買ったもの」は1割ほどだったと紹介されています。

つまり、おせちは消えているのではなく、形を変えて続いているということ。黒豆だけは家で炊いて、あとは通販で頼む。そういう家がいちばん多いわけです。

売る側として感じるのも同じです。昔は「三段重で何品目」という豪華さで選ぶ人が多かったのが、ここ数年は「中身がちゃんと昔ながらか」「何人で食べ切れるか」を気にする声が増えました。

参考:千趣会「おせちに関するアンケート」(2025年8月21日発表)、羽衣国際大学 研究紀要 第19巻

伝統の流れをくむおせちを通販で選ぶなら

歴史を知ると、「せっかくなら昔ながらの料理がちゃんと入ったおせちを食べたい」と思う人もいるはずです。

ここでは、通販の匠本舗から、伝統の料理がそろっていて、老舗の料理屋が監修した3品を選びました。選んだ基準は、祝い肴(黒豆・数の子・田作りかたたきごぼう)がそろっているか、煮しめや京の伝統料理がどれだけ入っているか、の2つです。

伝統おせちをもっと多くの商品から比べたい人は、昔ながらの伝統おせち通販6選も見てみてください。

新玉の息吹 京の伝統料理がそろう特大三段重

向いてる人:5〜6人で、棒鱈や親子鰊まで入った昔ながらの京のおせちを囲みたい家

道楽監修 新玉の息吹の中身を見る

京都東山で寛永年間から続く料亭「道楽」が監修した、特大の三段重です。

黒豆・数の子・田作りの祝い肴に、紅白蒲鉾、伊達巻、金団、昆布巻、紅白膾、煮しめの梅花人参や高野豆腐。伝統の料理がひと通りそろっています。

新玉の息吹の特大三段重のお重

特大の三段に京の料理が詰まった新玉の息吹

そのうえで、京のおせちの定番の棒鱈煮と、にしんと数の子を合わせた親子鰊まで入っているのが、この記事の流れで言うといちばんのポイント。北前船で運ばれた干物を正月に炊く、京の食文化そのものです。

中身を段ごとに見たい人は新玉の息吹の口コミと中身にまとめています。

京都東山 料亭「道楽」監修特大重 福来重 新玉の息吹(約5〜6人前・冷蔵)


  • 10月31日まで 23,000円
  • 11月1日〜12月10日 23,500円
  • 12月11日から 32,000円(通常価格)

匠本舗の商品ページ(2026年10月20日確認)。税込・送料無料(8,000円以上)。届くのは12月29〜31日のいずれか(日の指定なし)

  • 向いてる人:5〜6人で、棒鱈や親子鰊まで入った昔ながらの京のおせちを囲みたい家
  • 気をつけたい点:特大重なので冷蔵庫の場所をかなり取る。京の薄味寄りで、甘辛い濃い味に慣れた家には物足りないかもしれない。伝統の料理のほかに洋風の品も入る

道楽監修 新玉の息吹の中身を見る

柳雅 関東と関西の祝い肴がそろう五段重

向いてる人:4〜5人で、関東と関西の祝い肴を両方そろえたい家

味ま野監修 柳雅の中身を見る

京都岡崎の仕出し料亭「味ま野」が監修した五段重です。

江戸の祝い肴と京坂の祝い肴、この記事で東西の違いの話をしましたが、柳雅は黒豆・数の子・田作り・たたきごぼうが全部入っています。関東の三つ肴と関西の三つ肴を、どちらも満たせるわけです。

柳雅の有頭海老と黒豆・田作りが並ぶお重

柳雅の有頭海老のまわりに黒豆や田作りが並ぶ

紅白蒲鉾、伊達巻、紅白なます、ぶり照焼、有頭海老といった定番に、にしんの親子和えなど伝統の脇役も多め。実家が東と西で分かれている夫婦の家にも合わせやすいと思います。

詳しくは柳雅の口コミと中身で。

京都岡崎「味ま野」監修伍段重 柳雅(約4〜5人前・冷蔵)


  • 届く日の指定なし 18,800円
  • 通常価格 28,800円

匠本舗の商品ページ(2026年10月20日確認)。税込・送料無料(8,000円以上)。届くのは12月29〜31日のいずれか

  • 向いてる人:4〜5人で、関東と関西の祝い肴を両方そろえたい家
  • 気をつけたい点:煮しめの椎茸や昆布巻はお品書きに見当たらない。洋風の品も混ざる。五段あるので冷蔵庫の高さに注意

味ま野監修 柳雅の中身を見る

清新 道楽の伝統の味を3〜4人で手頃に

向いてる人:3〜4人で、京の伝統の味を手頃な値段で試したい家

道楽監修 清新の中身を見る

新玉の息吹と同じ道楽の監修で、こちらは通常サイズの三段重。10月31日までなら14,900円と、3品の中でいちばん手頃です。

清新の三段重のお重

道楽監修の三段重 清新

棒鱈煮と親子鰊が入っているのは新玉の息吹と同じ。黒豆・数の子・田作りの三つ肴に、紅白蒲鉾、伊達巻、金団、鱈子昆布巻、紅白膾、梅花人参、高野豆腐と、京のおせちらしい顔ぶれです。

少人数で「昔ながらの京のおせち」を一度試してみたい家には、まずこれをすすめています。清新の口コミと中身もどうぞ。

京都東山 料亭「道楽」監修おせち 平安祝重 清新(約3〜4人前・冷蔵)


  • 10月31日まで 14,900円
  • 11月1日〜12月10日 15,200円
  • 12月11日から 20,000円(通常価格)

匠本舗の商品ページ(2026年10月20日確認)。税込・送料無料(8,000円以上)。届くのは12月29〜31日のいずれか(日の指定なし)

  • 向いてる人:3〜4人で、京の伝統の味を手頃な値段で試したい家
  • 気をつけたい点:焼き物の魚は金目鯛で、真鯛は入らない。京の薄味なので、甘辛い煮物が好きな家には物足りないかもしれない

道楽監修 清新の中身を見る

3品とも冷蔵のおせちで、解凍はいりません。早割の値段は予定の数に達すると終わることがあると、商品ページに書かれています。

よくある質問

Q. おせちはいつから始まったのですか?

起源は弥生時代の「節供」までさかのぼると言われています。季節の節目に神様へ作物を供える風習で、奈良〜平安時代に宮中の「節会」で出す「御節供」になりました。正月の料理を指すようになったのは江戸時代の後期です。

Q. おせちは昔、何と呼ばれていましたか?

江戸時代には、江戸で「喰積(くいつみ)」、京坂で「蓬莱(ほうらい)」と呼ばれていました。もとの「御節供」は五節句すべての料理の呼び名で、「おせち料理」という名前が全国に広まったのは戦後のことです。

Q. おせちを重箱に詰めるようになったのはいつですか?

江戸時代の終わりから明治時代にかけてです。明治のころの婦人雑誌や新聞が、正月料理・重詰め料理として紹介したことで、家庭に広まりました。重箱には「めでたさを重ねる」という意味もあります。

Q. おせちの文化はなくなりますか?

なくなるというより、形を変えて続いています。2025年の千趣会の調査では77%がおせちを食べたと答えていて、手作りと買ったものを組み合わせる家が多くなっています。

Q. 沖縄にもおせちの文化はありますか?

本土のおせちとは別の、重箱料理の文化があります。おかずを詰めた重箱やお餅を仏壇に供え、クーブイリチーや中身汁、三枚肉などを食べます。最近は本土風のおせちを食べる家も増えています。

おせちを通販で頼むなら

おせち通販おすすめランキング5選

5店を、1人前あたりの値段・冷凍か冷蔵か・届く日で比べました。

10秒でわかるおせち診断で選ぶランキングを見る

まとめ 形を変えて続いてきたおせち

おせちの歴史を、もう一度ふり返っておきます。

  • 弥生時代:季節の節目に神様へ作物を供える「節供」が始まり
  • 奈良〜平安:宮中の節会で「御節供」。五節句すべての料理のこと
  • 江戸時代:庶民に広がり、後期に「おせち=正月の料理」に。呼び名は江戸の「喰積」、京坂の「蓬莱」
  • 明治・大正:重箱詰めが婦人雑誌で広まり、年始のお客をもてなす料理に
  • 昭和〜今:百貨店、テレビ、パック入り、通販。作るものから買うものへ

名前も、器も、作る人も変わってきました。それでも、神様と同じものを食べて一年の無事を願う、という芯だけはずっと同じです。

今年のおせちは、どの時代の流れを受け継いだものか

そんなことを少し思い出しながら重箱を開けると、黒豆ひと粒の味も変わってくるかもしれません。

昔ながらの料理がそろったおせちを選ぶなら、目的別にはこうなります。

  • 5〜6人で京の伝統料理を全部味わいたいなら、道楽監修の新玉の息吹
  • 関東と関西の祝い肴を両方そろえたいなら、味ま野監修の柳雅
  • 3〜4人で手頃に昔ながらの京のおせちを試すなら、道楽監修の清新

道楽監修 新玉の息吹の中身を見る

味ま野監修 柳雅の中身を見る

道楽監修 清新の中身を見る

ほな、また!

出典:湊敏文「おせち料理からみる食文化継承の課題と展望」(羽衣国際大学人間生活学部 研究紀要 第19巻)、ウェザーニュース(北野智子氏)、現代ビジネス(阿古真理)、農林水産省「和食;日本人の伝統的な食文化」、千趣会「おせちに関するアンケート」(2025年8月21日)、浦添市 なかよし給食センター 給食だより、匠本舗の各商品ページ(2026年10月20日確認)。時代の区切りや呼び名には諸説あります。

よく読まれている記事TOP3

記事URLをコピーしました